お定飯つうしん |
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覚成寺では、故人の月命日に門信徒のみなさまのご家庭を訪問するサービス、お定飯(おじょうはん)を行っております。 内容は、『仏説阿弥陀経』の読経と、適宜、お悩み相談をお受けしております。また、仏教を人生に役立てていただけるようにと、『お定飯つうしん』をお配りしております。 ちなみに「お定飯」という呼び方はこの地方特有の呼び方で、口伝によると、毎月門徒さまのお宅で読経すると、お布施として食事が出されていたということです。ストリートではないですけれども、いわゆる“托鉢”の一種とも考えられます。 このように、お布施によって私たち僧侶は毎日の食事を食べさせていただいている、ということで「お定飯」と呼ぶのだそうです。 |
・どんな命も(No.96/20010年6月号)
・再生ロウソク(No.84/2009年6月号)
・死と向きあえば(No.65/2007年10月号)
・お地蔵さんのお供え物(No.64/2007年9月号)
・おめでたい法要(No.63/2007年8月号)
・悪人正機(No.62/2007年7月号)
・いのち抱きしめて(No.61/2007年6月号)
・ほとけさま(No.60/2007年5月号)
・念仏〜カンタンなことほど怪しいと思う〜(No.58/2007年3月号)
・仏歴2550年(No.57/2007年2月号)
・(タイトルなし)(No.54/2006年11月号)
・共生…〈ちがいを大切にする〉(No.53/2006年10月号)
・輪廻(No.51/2006年8月号)
・浄土真宗の葬儀の心得(No.50/2006年7月号)
・慈悲のこころ(No.49/2006年6月号)
・アメリカ人から見たお定飯(No.48/2006年5月号)
・七高僧C(No.47/2006年4月号)
・いのちは誰のものか(No.46/2006年3月号)
・七高僧 B(No.45/2006年2月号)
・仏式の行事(No.44/2006年1月号)
・七高僧 A(No.43/2005年12月号)
・七高僧 @(No.42/2005年11月号)
・兵戈無用(No.41/2005年10月号)
・和顔愛語(No.40/2005年9月号)
・浄土真宗の戦争責任(No.39/2005年8月号)
・国境なき追悼(No.38/2005年7月号)
・ボクらはみんな生かされている(No.37/2005年6月号)
・心の鏡(No.36/2005年5月号)
・故人の写真について(No.35/2005年4月号)
・仏教と平和・憲法(No.34/2005年3月号)
・仏についてA(No.33/2005年2月号)
・信仰(No.32/2005年1月号)
・仏について@(No.31/2004年12月号)
・イスラム教と仏教の共通点(No.30/2004年11月号)
・四十九日って?(No.29/2004年10月号)
・浄土真宗のお盆(No.28/2004年9月号)
・バングラディッシュのお坊さん(No.27/2004年8月号)
・信心が要です(No.26/2004年7月号)
・お墓の意義(No.25/2004年6月号)
・戦時布教(No.24/2004年5月号)
・御文章(No.23/2004年4月号)
・正信偈(No.22/2004年3月号)
・阿弥陀如来のねがいB(No.21/2004年2月号)
・命の価値(No.20/2004年1月号)
・阿弥陀如来のねがいA(No.19/2003年12月号)
・阿弥陀如来のねがい@(No.18/2003年11月号)
・檀家制度(No.17/2003年10月号)
・常にわが身をかえりみて(No.16/2003年9月号)
・お経(No.15/2003年8月号)
・東西本願寺に分かれた理由(No.14/2003年7月号)
・浄土真宗と戦争(No.13/2003年6月号)
・法名について(No.12/2003年5月号)
・〜世界に一つだけの《いのち》〜(No.11/2003年4月号)
・「祈り」について〜「祈らない宗教」浄土真宗〜(No.10/2003年3月号)