仏についてA

Q 仏教に「祈り」の概念はありますか?一般に祈りというと「お願い」であることが大半ですよね。あまり認められないものなのでしょうか?また、仏と対峙するときに相手に自分の全てをゆだねるなかで、自己決定していくという考え方はありますか?

A 「お願い」の概念は誤解を恐れずに言い切ってしまうと「仏教には無い」です。
 なぜ「無い」のかと言うと、本来仏教は己の姿をいかに見つめさせるか、そこを重要にしていますから、自身の悩みの原因や欲望を他に求めるような生き方は、お釈迦さまはなるべくならしないことをすすめているからです。
 では、浄土真宗には『他力本願』という教えがありますが、これはどういうことかといいますと、この場合の「願い」は「私たちの願いを叶えるために他人の力を当てにする」ことではなく、「私たち一人一人が争いごとをせず穏やかに生きて欲しい」という、阿弥陀如来という「仏の願い」のことなのです。人は根本的に自己中心的な考え方に陥り易い生きものです。阿弥陀如来は、そのような私たちを見抜き、そうならないように願われているのです。そういうわけで、「一度すべて仏にゆだねてみなさい」と『他力本願』は勧めているのではないでしょうか。でも、それは簡単なことのようで、”我”を持つ人間にとって一番難しいことでもあるのですけどね。
 それと、「自己決定」ですが、もちろん仏といっても実際には何も語ってはくれませんから、何か物ごとや生き方を決定しなくてはいけない場合、最終的には当然自分で道を選んでいくことになります。ただ、その結果うまくいったとしても失敗したとしても、それはそれで自分にとって意味のあることとして「いただく」姿勢が、仏教徒の姿勢だと私は思います。そこでも気をつけたいのは、どちらにしても「自分の功績」というふうに考えて必要以上に思い上がらないように気をつけることだと思います。だから、仏教はどこまでも「おかげさま」の世界なのです。



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