浄土真宗の戦争責任

 今年はアジア・太平洋戦争の敗戦から60年ということで、終戦記念日を前に、テレビや新聞では戦争を省みる特集がたくさん組まれています。私たち浄土真宗本願寺派も、戦争中は開祖・親鸞の教えにないことを「教え」として戦争を賛美し、積極的に戦争協力した過去があります。その戦争責任の自覚から、本願寺教団はこれまで、二度と戦争を肯定するようなことがないよう、非戦の決意を新たにする様々な取り組みを行ってきました。

 戦争もテロも、どんな大義名分を掲げてみても、「人が人を殺す」行為であり、「命を粗末にする」行為であることに変わりありません。この先も、世の安穏を念じつつ、「殺すな、殺されるな、殺すのを容認もするな」の、仏教の非戦の教えを胸に生きていきたいと思います。

 そんな中、真宗大谷派の宗会(宗派の最高決議機関)が、「非戦の決意」を具体的に表明する決議文を発表されましたので、ここに全文を紹介させていただきます。


日本国憲法「改正」反対決議

 今年、私たちはアジア・太平洋戦争敗戦60周年を迎えました。1931年の「満州事変」に始まり、1945年8月の広島・長崎への原爆投下に終わった15年にも及ぶ戦争一色の年月の中で、日本国民約300万人、アジア諸国民約2000万人の命が奪われ、その悲惨な傷跡は未だ癒されることなく国内外に深く残っております。

 1946(昭和21)年に公布され翌年施行された「日本国憲法」で私たちは、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争放棄」の三原則を国のあり方の根本と定めました。この「日本国憲法」は、二千数百万人にも及んだ余りにも大きな犠牲へのおののきと、人類の滅亡すら危惧される核の時代がもたらす底知れない不安感を背景に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」して生み出されたものでありました。

 しかしながらその後、日本政府も私たちも、国の基本法である「日本国憲法」に謳われた精神を具現化することをおざなりにし、戦争犠牲者から託された、恒久平和構築の悲願を忘れたかのように、経済的物質的豊かさのみを飽くことなく追求してまいりました。まさに「恥ずべし、傷むべし」と言わざるを得ません。

 私たち大谷派宗門もまた、「遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」と本願念仏のみ教えをいただかれた親鸞聖人を宗祖としながら、宗祖聖人の仰せにもなきことを聖人の仰せと偽り、釈尊の「兵戈無用」の金言を忘れて、戦争遂行に協力をしてきました。

 戦争の悲惨さを知る人が少なくなりつつある今、日本国民が、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」った「日本国憲法」を「改正」しようとする動きが急加速しております。ことに2001年9月に発生した同時多発テロ以降、アジア近隣諸国との関係悪化に便乗するかのように、「戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否定」を謳った第9条の「改正」を中心とした憲法「改正」への動きが俄に現実味を帯びてきました。

 「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と宗祖の仰せをいただき、1995年・戦後50年に当たって「不戦決議」を採択した私たちは、宗門の負の歴史を心に刻み、「日本国憲法」を生み出した戦争犠牲者の声なき声に耳を澄ませて、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を「国際紛争を解決する手段」として「永久にこれを放棄する」意志を再確認し、今般の「日本国憲法」「改正」の動きに対して、真宗門徒として強く反対の意を表明いたします。

2005年6月14日                                  真宗大谷派宗議会


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