ボクらはみんな生かされている

 
 「人間は他の命を食べなければ生きられない。『いただきます』という言葉には命を粗末にしてはいけないという思いが込められている」

浄土真宗本願寺派 大谷光真門主(2005年4月20日付読売新聞記事より)

「いただきます」という言葉をもう少しリアルに表現すると、「『いのち』をいただきます」となるのではないでしょうか。あまりに当たり前になってしまって、普段あまり考えることはありませんが、よくよく考えてみますと、私たちが生きていられるのは、水や空気や動植物の命をいただいているからに他ありません。

 では、食卓に食べ物が並ぶまでのストーリーをさかのぼって想像してみましょう。まず食材を調理してくれる人がいます。次に、食材を売ってくれるお店の人がいて、作物を田畑で育ててお店に出荷している人がいます。また、魚や動物は殺さなければなりませんので、そういう精神的にしんどい部分を引き受けてくださっている人もいるわけです。このように、ちょっと想像しただけで、私たちは日々、たくさんの“おかげ様”によって生かされていることがわかります。本当にありがたいことです。

 月に一度でもいいから、家族みんなで食卓を囲んで、「いただきます」と「ごちそうさま」を心を込めて言うことは、人と人とのつながりや、いのちの尊さを子や孫に伝えていくための、一番身近な「できること」ではないでしょうか。(合掌)

浄土真宗の食事のことば

【食前のことば】

( 代表 ) み仏と みなさまのおかげにより このご馳走を、恵まれました。

(みんなで) 深くご恩をよろこび、ありがたく、いただきます。

【食後のことば】

( 代表 ) 尊いお恵みにより おいしく いただきました。

(みんなで) おかげで ご馳走さまでした。



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