七高僧 C
しちこうそう

 聖徳太子が十七条憲法を定めて日本にはじめて公に仏教が取り入れられた同じ頃、中国で活躍されたお坊さんが、四番目の七高僧、道綽禅師です

曇鸞大師(476〜542年)の浄土教の思想を受け継いだ道綽禅師は、『安楽集』という著書の中で、仏教の修行を聖道門浄土門とに分類されました。聖道門とは厳しい修行を積んで自力で悟りを目指す、限られた人にしかできない道。浄土門とは阿弥陀如来の本願を信じて、その力《他力》によって浄土に生まれて仏になる道。道綽禅師は、誰でも平等に悟りを得る(苦悩から救われる)ことができる道として人々に念仏することを勧められ、自らも念仏に励み、日に七万回も念仏を称えられたと伝えられています。

道綽禅師(中国・562〜645年)

 仏教を浄土門と聖道門に分け、凡夫の念仏による往生を説いた

 道綽決聖道難証 唯明浄土可通入 万善自力貶勤修 円満徳号勧専称

 三不三信誨慇懃 像末法滅同非引 一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

(『正信偈』より)

《意訳》

道綽禅師は、聖道門の教えによってさとるのは難しく、浄土門の教えによってのみさとりに至ることができることを明らかにされた。自力の行はいくら修めても劣っているとして、ひとすじにあらゆる功徳をそなえた名号を称えることをお勧めになる。三信不信の教えを懇切に示し、正法像法末法法滅、いつの時代においても、本願念仏の法は変わらず人々を救い続けることを明かされる。「たとえ生涯悪をつくり続けても、阿弥陀仏の本願を信じれば、浄土に往生しこの上ないさとりを開く」と述べられた

(本願寺出版社『顕浄土真実教行証文類』より)

※正信偈の意訳の文中に「自力の行はいくら修めても劣っている」と書かれていますが、親鸞聖人が正信偈をお書きになった時代(鎌倉の動乱の時期で末法の世とも呼ばれていた時代)に日々不安を抱えながら生きていた多くの人々に、「心から阿弥陀如来の本願におまかせしてただ念仏するだけで誰でも平等に救われるんですよ」ということをお勧めする上での表現ではなかったかと思います。  (副住職)

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