阿弥陀如来のねがい@

 私たちが毎日手を合わせている阿弥陀如来。その「阿弥陀」とは、インドの言葉で、《永遠の生命》、《無限の光》という意味で、「如来」とは、その永遠の生命と無限の光の世界から来てくださった方、という意味です。
 
 私たちは今、生きています。この私が今ここにいるのは、両親がいたからです。その両親にもそれぞれの両親がいて、さらにそのそれぞれの両親には両親がいます。そのようにして私の生命の源をたどっていくと、最終的には地球に生命が誕生した頃までさかぼることでしょう。すると、普段何気なく生きているこの私の生命は、じつはとんでもなく壮大な生命のつながりの中にあることを知らされます。”自分のもの”と思っていた、この私の生命は《永遠の生命》の一部であることを。
 次に、無限の光について。私たちが今こうして生きているのは、直接的には両親から生命をいただいたからですが、両親の存在以外に、私の人生にこれまで関わり、育ててくれた人や物のことを思うと、それはもう、計り知れないほどのものから影響を受けていることを知らされます。これまで私を育ててくれたすべての人や物のはたらき《無限の光》は、今現在も私の生命を照らし、支えてくれています。
 このように、私たちは、永遠の生命と無限の光の世界の中に今まさに生きているのに、日常生活に追われ、世間の評判や価値観に振り回されていると、悲しいかな自分中心のものの考え方に陥りやすく、広い心でまわりを見られなくなってしまいがちです。
 
 阿弥陀如来は、生き方を間違えやすい私が、広い心の世界に向かって生きていけるようにと、背中を押してくださる《はたらき》なのです。私自身、これまでの人生は間違いだらけの人生でした。そして、これからも間違いを犯すかもしれません。だからこそ、「どんなことがあっても絶対に見捨てない」「最後には必ず目覚めさせる=仏にする」と、はたらき続けてくださる阿弥陀如来を人生のよりどころとすることで、たとえどんな状況であっても、今を精一杯生きる勇気が与えられるのです。一度しかない人生、その場しのぎの生き方ではなく、不器用でもいいから、一本筋の通った生き方ができたらいいですね。
 
※次回は「色もなく形もない”はたらき”」である阿弥陀如来のことを、インドのお釈迦様が、私たちにわかりやすいように、この世の人の姿で教えてくださった、『法蔵菩薩の物語』をご紹介します。

BACK