仏歴2550年
 今回はタイで出家されたお坊さんで、覚成寺でもお説法をいただいたことのある藤川和尚さまの年頭のごあいさつを、許可をいただき転載させていただきます。(合掌)

今年は仏暦2550年。
ブッタ(釈迦尊)がお生れになって2550年と言う、仏教徒にとっては区切りの大切な年。

ブッタが、苦しみに悩む我々凡人を救おうと、菩提樹の樹根から立ち上がり、北インドの大地を踏みしめて教えを説いて歩かれたのは今から2500年以上前でありながら、未だにブッタの教えは現在地球の各地に引き継がれ、実践されている。

そう考えてみると、数千年前にブッタが教えを説いて歩かれた当時の 我々先祖の苦しみ・悩みと、現在を生きる我々凡人の苦しみ・悩みは少しも変わっていないし、減じていないし、この地球上から戦いの火の消えたことは一度たりとも無いのだということが分かる。

今の日本について考えてみても、日本中に人間の苦しみ、悩みが転がっている。この数十年で日本は飛躍的に豊かになり、物質的には豊かになった。しかし、そのことが人に何をもたらしたのだろうか。日本に限らず、世界を見渡し、我々人類はこれでよいのだろうかと思わずにはいられない。そして、日本はこのままでよいのだろうか?『新年おめでとう』と浮かれていていいいのだろうか?
誰もがこのままでいいとは思っていないのに、それを見ないふりをして逃げているだけではないのだろうか。しかし、このまま眼をつぶったままでいて、私たちは子孫に何を残せるのか。果たして、そこに希望はあるのか。

新しい年を迎えたこのときを、仏教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も、無宗教を自負する人たちも、民族の違い、国家の違い、宗派の違いを乗り越えて、今置かれている現状を見つめなおし、我々が先祖・父母から引き継いだ地球・日本を、地球の子孫に・日本の子孫に・自らの子孫に、引き継ぐため考え実践する出発点にしよう。                           

藤川チンナワンソ清弘

BACK