阿弥陀如来のねがいB


 阿弥陀如来が、この世のすべての人々の悩みや苦しみを根本から取り除こうとして起こした願い、四十八願。
親鸞聖人は、その中でも十八番目の願いを、もっとも重要な願い《本願》として見られました。
 以下、『仏説無量寿経』に説かれている阿弥陀如来の第十八願の経文と現代語訳、さらにその解釈を併せてご紹介します。

〔経文〕
 説我得仏・十方衆生・至心信楽・欲生我国・乃至十念・若不生者・不取正覚・唯除五逆・誹謗正法
                                 本願寺出版社『勤行聖典 浄土三部経』P46
〔現代語訳〕
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
                                 本願寺出版社『浄土三部経』P29
〔解釈〕
 私の目覚めた眼の世界では、誰でも、素直な心となり(至心)、私の世界を信じ喜び(信楽)、私の国に生まれようと願う(欲生)三つのまことの心が与えられ、南無阿弥陀仏と称えずにはいられなくなるであろう。もしそれでも私の国に生まれることができなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。このことはただひとえに、親を殺すような非人間的な生活、目覚めた人に背を向けるような非人間的な精神では、本当に人として生まれた喜びを味わえないことを、はっきりさせるためなのだ。
             法蔵館 高松信英 著『現代語訳 大無量寿経〜躍動するいのちを生きよ〜』P44
 
 阿弥陀如来が「すべてをまかせよ」と、私たちに呼びかけ続けるのは、小さな殻に閉じこもって苦悩する私たちをもれなく広い心の世界へと解き放ち、精一杯人生を生きることができるようにするためです。

 九才から二十九才までの二十年間、比叡山で厳しい仏道修行を重ねられた親鸞聖人は、自分自身を深く見つめれば見つめるほど、悟りからはほど遠い自分自身の姿を知らされ、行き詰まってしまいました。
 だからこそ、この教えに救いを求めていかれたのではないでしょうか。


BACK