悪人正機
(あくにんしょうき)

善人(ぜんにん)でさえ救われるのだから、ましてや悪人(あくにん)が救われないはずがない。

この言葉は、親鸞さまの「悪人正機」の教えです。

近頃よくテレビのニュースで信じられないような事件が報道される度に、私は「えー!」と驚きの声をあげます。しかし、それは他人事(たにんごと)の「えー!」であって、自分の身にも起こるかもしれない、あるいは、自分も罪を犯すかもしれない、という自分事(じぶんごと)の「えー!」ではありません。遠くの「えー!」です。

欲望(煩悩(ぼんのう))の固まりといっても過言ではない私。今日まで大きな事件を起さずに生きてこられたのは、ほんの紙一重のタイミングのズレだけであって、場合によっては殺人さえ犯すかもしれない身であると想うと、“信じられない”と思って(なが)めていた事件が、急に“信じられる”事件となって身近に迫ってきます。

 

先日、覚成寺でコンサートをしてくれたミュージシャンの和気(わき)(ゆう)さんは、友人が殺人を犯したことをきっかけに、全国の少年院や児童自立支援施設を巡るようになったそうです。その彼が、最近話題の環境問題への関わり方について、次のようなメッセージをくれました。

俺たちが地球を守ってるんじゃない。地球が俺たちを守ってくれてるんだ。

 私はこの言葉に、親鸞さまの悪人正機の視点に通じるものを感じました。

合掌


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