信心が要です


 浄土真宗の開祖、親鸞さまは、「私は亡き父や母の供養のために念仏申したことはかつて一度もありません(歎異抄)」と告白されています。これはどういうことでしょうか。

 私たちが毎日手を合わせている阿弥陀如来の救いは、「私たちの誰もが一切のわけへだて無しに、命終ると同時に仏にならせていただき、ただちに仏の国に連れていってもらえる」というものです。それゆえに、親鸞さまは、「私たちが救われるために必要なのはただ『信心』だけが要ですよ」と教えてくださいます。浄土真宗の「信心」とは、「阿弥陀如来の救いに心からおまかせする気持ち」のことです。

 そうしますと、冒頭の親鸞さまの言葉、「父や母の供養のために念仏申したことはありません」というのは、「亡き父や母のことはもちろんのこと、自分自身が救われていく道は、阿弥陀如来のはたらきにおまかせする意外にありません。すべて阿弥陀如来におまかせしています」という言葉の裏返しであることがわかります。そのような気持ちで言う念仏は、「阿弥陀さま、ありがとう」という、どこまでも感謝の言葉なのです。
 

聖人一流の御観化のおもむきは、信心をもって本とせられ候   
                    
                     御文章『聖人一流の章』より


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