命の価値

 浄土真宗は「阿弥陀如来によって、誰でも平等に仏にならせてもらえる身のしあわせをよろこび、命いっぱい世のため人のために生きる」教えです。この「誰でも平等に仏になる身」であるという教えは、言い換えれば「誰の命も等しく尊い命」であるという教えでもあります。しかし、昨今の世の中の状況を見てみますと、そんな価値観が失われてしまっているような気がしてなりません。

 先日イラクで二人の日本人外交官が殺害されるという事件がありました。この事件に関して、日本では報道されなかったお話があります。浅井久仁臣さんという中東に詳しいジャーナリストによると、亡くなられた二人の日本人外交官の棺は、米軍の厚い護衛の下にバグダッドの日本大使館に送られた一方で、二人の外交官が乗っていた車を運転していたイラク人の棺は、汚い乗用車の屋根にくくりつけられて自宅まで送られたそうです。
 仏教では「愛別離苦」といって、人は誰でもいつかは愛する人と別れなければならない苦しみを抱えて生きている、といいます。亡くなられた二人の日本人外交官の命も、イラク人運転手の命も、どちらも比べることなどできない尊い命のはずなのに、どうして人が人の命の価値に差をつけるのでしょう?

 阿弥陀如来が「誰でも平等に仏にする」と願い、はたらき続けているのは、私たちに「命はみんなそれぞれに輝いている。常にそれを忘れずに生きていきなさい」と呼びかけてくださっているのではないでしょうか。


※ジャーナリスト浅井久仁臣さんのホームページアドレス http://www.asaikuniomi.com/

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