慈悲のこころ

 先月、タイの『オモロイ坊主』こと藤川和尚が覚成寺を訪問され、タイ仏教のお話を聞く会と瞑想体験会を開きました。タイのお坊さんは200以上の戒律(自分を律するための内面的道徳規範)を守って生きる、お釈迦さまの時代に限りなく近い生活を送っています。しかし、中には現代にはそぐわないアホみたいな(藤川和尚談)戒律もあるそうです。たとえば「糞尿を水に向かってしてはいけない」という戒律。乾季になるとほとんど雨が降らない地域では水たまりはとても貴重で、しかもそこには目に見えないけど無数の生物が生きているので、そこへ向かって糞尿をしてはいけない、というのです。水洗トイレが普及してきた現代でこれを守るのは至難の業ですが、だからといって戒律を時代に合うように変えることはしないそうです。なぜかというと、一度変えると次から次へとどんどん変えられていってしまう可能性が目に見えているので、タイ仏教ではお釈迦さまの時代に出来た戒律をそのまま大事にし続けているそうです。そういう意味で藤川和尚は、日本の憲法9条が変わろうとしている現状を大変憂いてみえました。

 お話のあとの『慈悲の瞑想』体験では、それぞれ思い思いの楽な姿勢で、「@私は幸せでありますように。A私の悩み苦しみがなくなりますように。B私の願いことがかないますように。C私に悟りの光があらわれますように」を、それぞれ3回ずつ繰り返し声に出して念じました。以降、「私」の部分を「私の親しい人々」「生きとし生きるもの」「私の嫌いな人」「私を嫌っている人」と言い変えて順次瞑想をしました。

 自分の嫌いな人の幸せを念じることには、抵抗を感じる自分に気づきました。藤川和尚は「これをお互いに思いあえたら、もっと命を大事にしあうことができる。これが仏教の慈悲の心です」と結ばれました。

※覚成寺で行われた『オモロイ坊主を囲む会inぎふ』の記事が、5月24日付朝日新聞に掲載されました。

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