浄土真宗と戦争

 去る4月29日、イラク戦争を取材してこられたフリーカメラマン・久保田弘信さんを覚成寺にお迎えして『イラク報告会』を開催しました。ミサイルが落ちてくる側にいた久保田さんのお話を聞いて感じたことは、イラク戦争中にテレビや新聞から流れてきた情報は、ほとんどが攻撃する側から見た情報で、私たちはそうした偏った情報のみを受け取っていたんだ、ということです。

 イラク戦争が始まった3月20日、私たち浄土真宗本願寺派は、アメリカの全面的な支持を表明した日本政府に対して『イラクに対する武力行使に対する抗議と、その即時中止を求める声明』を出し、「殺すな、殺させるな、殺すのを容認もするな」とのお釈迦さまの教えを聞くものとしては当然の反応を示しました。しかし、そんな私たちの声も空しく、イラク戦争はほぼアメリカの思惑どおりに進み終戦し、日本では自衛隊がアメリカの戦争に協力しやすくするための法律『有事法制』の整備が驚くべきスピードで進められています。今後日本(世界)はどうなってしまうのでしょう。

 ここで、私たち浄土真宗(本願寺教団)が日本の先の大戦中に犯した恥ずべき歴史をお話します。今回のイラク戦争では真っ先に反戦の意志を表明した本願寺教団ですが、じつは先の大戦では戦争を進める日本政府に積極的に協力していたのです。たとえば従軍布教使。この従軍布教使の役目は、戦地における戦病死者のお葬式が中心であったそうですが、兵隊さんに戦死(死後)の安心感を与え、さらなる戦闘に駆り立てる役割も任務だったことが知られています。さらに親鸞の書物からも、政府と一緒になって戦争を進めるのに都合の悪い部分(天皇を頂点とする貴族のための仏教ではなく、庶民の救いを説き本来の仏教の姿を示した法然や親鸞の念仏教団に対して、ほんとうに罪なのかどうかも考えないまま、門下の者を死罪にしたり僧籍を剥奪して流罪にした、天皇やその臣下の者を厳しく批判した部分。※『注釈版聖典』471ページ)を削除して布教するなど、多くの門徒の方々を戦地へと送り出していったのです。不殺生や慈悲の心を教える仏教とは思えない愚かな行為としか言いようがありません。

 戦後の本願寺教団はその反省の下にこれまで歩んできました。それは「二度と同じ過ちは繰り返しません」と、先の戦争で亡くなられた国内外のすべての戦没者に対しての懺悔と非戦の誓いの歩みでもあります。そうした戦後から今日までの歩みを思うとき、私たちが本当にやらなければならないことは、真っ先に戦争の準備をすることよりも、二度と同じ過ちを繰り返さないための歩みを、いのち一杯、あきらめないで続けることではないでしょうか?

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