和顔愛語

仏説無量寿経に「和顔愛語(なごやかな笑顔とやさしい言葉)」という言葉が出てきます。

 今回は、阿弥陀如来が「あらゆる人々を迷いから救う」ために、法蔵菩薩と名乗られ修行していた頃のお姿をあらわす場面で出てくるこの言葉を含む一節をご紹介します。

 貪りの心や怒りの心や害を与えようとする心を起さず、また、そういう想いを持ってさえいなかった。すべてのものに執着せず、どのようなことにも耐え忍ぶ力をそなえて、数多くの苦をものともせず、欲は少なく足ることを知って、貪り・怒り・愚かさを離れていた。そしていつも三昧(乱れのない静かな境地)に心を落ちつけて、何ものにもさまたげられない智慧を持ち、偽りの心やこびへつらう心はまったくなかったのである。表情はやわらかく、言葉はやさしく(和顔愛語)相手の心を汲み取ってよく受け入れ、雄々しく努め励んで少しもおこたることがなかった。ひたすら清らかな善いことを求めて、すべての人々に利益を与え、(目覚めた人、目覚めを促す教え、目覚めた生き方を目指す仲間)の三宝を敬い、師や年長のものに仕えたのである。その功徳と智慧のもとにさまざまな修行をして、すべての人々に功徳を与えたのである。」
〜本願寺出版社『浄土三部経―現代語版―』より〜

 修行の段階ですでにこのような生き方を実践されていた阿弥陀如来から「おだやかな気持ちで世界中のみんなが平和に生きていけるように」と願われている私たち。「和顔愛語」を心がける人がふえるといいなと思います。

                                      南無阿弥陀仏


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