信 仰

 12月の終わりに、名古屋大学付属病院で約1年にわたり白血病治療の研修を受けてこられたイラク人のアサード・カラフ医師と、イスラム教と仏教について意見交換する機会を持つことができました。

 彼との対話の中で、特に印象に残ったことが二つありました。一つは、イスラム教を信仰する一部の指導者たちが、「イスラム教以外を信仰するものは悪だ」として、過激な行動をとっていることに対しての彼の見解です。彼曰く、「コーラン(イスラム教の教典)の中には『イスラム教が優れた教えであるからといって、他の教えを批判したりしてはならない』と書かれています。だから私は、過激な行動をとろうとする人と会えば、『なぜ、あなたはそのような行動をとるのですか?イスラムの教典にはそんなことは書いてありません。ご存じですか?』と、説くようにしています。」ということでした。これを聞いて、「浄土真宗の教えが優れているからといって、それを他宗派の人に誇ったり、他の教えを謗るようなことはしないように」と、信仰の違いから争いが起きないよう、わざわざ戒めなければならなかった浄土真宗の歴史を思いました。
 もう一つは、「どんなときも『アラーの神のおかげ』と言っているのは、人は、ともすれば『私が、私が』と言って、自己中心的な考え方に陥り易いので、それを気をつけるためです。」で、これも、自己の能力を過信しないで、常に自分自身の行いを深く見つめながら、謙虚に生きることを目指す仏教徒の生き方と同じだな、と共感しました。

 彼は最後に、「私はイスラム教を素晴らしい教えだと思うから信仰しています。ですが、他の宗教を信仰している人との対話も大事だと思っています。なぜなら、他の宗教の人から見て、イスラム教を信仰する自分はどんなふうに映るのだろう?と、自分自身を客観的に見つめることができるからで、そういう客観的な視点を常に持つことは、とても大事なことだと思うからです。」と語ってくれました。彼との対話から、信仰の違いで争いが起きるのは、教えそのものが原因ではなく、それを自分の都合のいいようにねじ曲げる人がいるからで、だからこそ、「常に我が身を省みる」視点を持つことが大切なんだと、あらためて思いました。

『仏についてA』は次号にさせていただきます。


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