イスラム教と仏教の共通点


 先日、イラクからのお客さまが覚成寺に宿泊されました。その方たちはイスラム教を信仰していらして、1日に5回お祈りをする習慣があり、実際にどうやってお祈りをするのかを、私たちに見せてくださいました。その後、お祈りの意味などを説明していただいたのですが、お話を聞いていて、イスラム教と仏教との共通点をいくつか発見しました。

 どういうところが似ているかといいますと、イスラムのお祈りの時、彼らは地面に頭をつけて礼拝します。その意味は、「人間は自然と比べたら小さな存在であることを意識する」という意味もあるそうで、思い上がりの気持ちを抑え、謙虚な気持ちで生活するため、ということでした。

 仏教でも、我執に囚われたり、己の力を過信しなようないように、常に自身を省みなさいという教えがあります。毎月発行しています覚成寺の新聞のタイトル『他力本願』も、じつはそういうことを意識させるお釈迦さまの教えなのです。ですから、「何でもかんでも他人任せ」という、世間ですっかり定着してしまっている意味とは全く違うのです。

 あと、体全部を大地に投げ出すようなお祈りのスタイルも、仏教の五体倒置という礼拝のスタイルとそっくりでした(これは日本の仏教ではあまり見られませんが)。ニュースなどで連日テロの報道ばかりがクローズアップされていますから、イスラム教についてマイナスのイメージを持たれている方も少なくないと思います。でも、実際にその教えに生きている人たちに出会ってみて、他人のことを大切にする、とてもステキな宗教だなぁと思いました。


 イラクで人質になっていた香田証生さんが殺害されたことが、10月31日、確認されました。香田さんのご遺族の皆様に心から哀悼の意を表します。こんなことになってしまい、本当に悲しいです。
 病気を治すとき、まずはじめにしなければならないことは、病気の原因が何なのかをつきとめることでしょう。それがはっきり分からないまま、上辺だけの治療をいくら施しても、病気はいつになっても治りません。
 今回の事件は、香田さんが危険をかえりみずにイラクへ入ったことも、たしかに原因の一つかもしれません。でも、それは表面的な原因に過ぎないのではないでしょうか。私たちが、その向こうにある、もっと根本的な原因に真摯に目を向けなければ、このような悲しみが今後もあとを絶たないのではないかと、とても心配です。


                           2004年11月1日  副住職 大平一誠


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