法名について


 法名というと、一般には亡くなってから所属のお寺の住職に付けてもらうものと思われているようですが、実はそれは”仕方なく”そのようにしているだけで、本来のカタチではないのです。

 キリスト教に「洗礼」という儀式があるのはよく知られています。神の前に信仰を誓い、普段の名前とは別の名前「クリスチャン・ネーム」が与えられる儀式です。浄土真宗の法名は、実はこのクリスチャン・ネームに近いもので、キリスト教の洗礼にあたる儀式を仏教では「帰敬式【キキョウシキ】」と呼びます。すべての生きとし生けるものを残らず仏にすると誓われ、はたらき続けておってくださる阿弥陀如来への帰依(心からのおまかせ)を表明し、それを心の拠り所として生きることを誓い、仏教徒としての名乗りをあげる儀式です。これを俗に「おかみそり」とも呼び、おかみそりを受けますと、普段の名前とは別に仏教徒としての名前「法名」が与えられます。このおかみそりは、原則として京都の西本願寺で受けることになっております。(受式にかかる費用は、成人で一万円、未成年は五千円。詳しくは覚成寺までお尋ねください。)

 また、法名は「釋○○」という形ですが、この「釋」とは、仏教を開かれ阿弥陀如来のことを説いてくださったおシャカさまのお弟子となったことを意味します。そして、普段の名前とは違う名前をいただくことには、今は煩悩にまみれ如何ともしがたいこのわたしが、阿弥陀如来のはたらきによっていずれ必ず仏となる身になることのたしかさを、名実ともにかみしめながら生きていくという意味もあります。

 「院号法名」についても触れたいと思います。院号とは、もともと宗門の護持発展に貢献した寺院の僧侶に贈られるものだったそうです。それが、同じく宗門の護持発展に貢献された門徒の方にも本願寺教団から贈られるようになったそうで、浄土真宗の教えが広まるようにと、本願寺教団に対して二十万円以上の寄進をしていただきますと、本願寺から感謝の意として院号が贈られることになっております。ですから、本来院号とは、こちらからお願いして付けてもらう(お金を出して付けてもらう)ものではなく、宗門のために尽力された方にお礼の形で結果的に贈られるものなのだそうです。ただ、絶対平等の世界を説く仏教にあって、仏教徒としての名前にこのような格差があることに対しては、宗門内で賛否両論が聞かれつつも、実際には本願寺教団にとって貴重な財源となっていることから、教団としては完全に否定できないのが現状のようです。ですから、覚成寺では生前中に法名をいただかれることはお薦めいたしますが、院号については特にこちらからお薦めすることはありません。阿弥陀如来のはたらきは、すべての人に対して平等に届けられているのですから。          


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