2005年12月10日(土)の覚成寺お経教室で、タイのサムットソンクラーク県のポムケウ寺で出家生活を送る藤川清弘和尚さんから、仏教国タイのことや、その周辺の国に住む子どもたちのお話を聞かせていただきました。
(藤川さんのホームページ http://www.omoroibouzu.com/

象の国のタイから来ました。日本人です。15年前にタイへ行ってお坊さんになりました。タイでは毎朝学校の朝礼で何をするかというと、校庭に仏さんがまつってあります。だから勉強が始まる前にみんなで校庭で「ブッダンサラナンガッチャーミ(仏さまを信じます)」と、朝の朝礼でする。ホンマの仏教国で、国民の95%は仏さんを信じてはります。

 今日はちょっと悲しい話を聞いてください。タイの隣にカンボジアという国とミャンマーという国があるんですけど、最近私がいろいろ聞いてるなかでは、悲しい話ばっかりなんですけど、君たちくらいの子どもたちが、家が貧しいからといって、売られていくんです。そして、タイはその中では一番金持ちなんで、タイへ君たちくらいの子どもたちが売られてきて、それでそこで乞食(※1)をやらされるんです。朝、トラックに乗せて、各町の橋の下やとか、町の角っこやとか、子どもを一人ずつ降ろしていって、「一日なんぼもうてこい」と。乞食で。「言うただけもらえへんと、ご飯無いぞ」と。そんなふうに、子どもたちが乞食をさせられています。それでミャンマーの国からタイの国は歩いて来られますので、ミャンマーの国の隣の県だけは、ミャンマーから1日だけパスポート無しで来られるんです。だからそこまで連れてきて、晩になって、国道をトラックなんかで走っていると、警察に捕まって、子どもを返さなあかんで、山の中を歩かすんです。タイの山いうのは、ホンマのジャングルです。野生の象もいるし、いろんな獣がいます。だから子どもたちの骨がいっぱい出てきます。その街道に。みな途中でお腹が減ったり、怪我をすると、そんな子どもは連れていけないから、山の中へ放っておかれます。その子どもたちが猛獣に食べられたり、腹が減って、死んでしまい、死骸がたくさん並んでいます。

 でもまだ、バンコクの町へ来て、乞食をさせられてる子どもは幸せです。ご飯、ちょっとでも食べられるから。生きてるから。そやけど、多くの子どもたちは、アメリカや、あるいはタイやら、いろんな国に売られていって、何をさせられてるか、腎臓の悪い人、肝臓の悪い人、心臓が悪い人、いますね。日本人やったら、この間も日本からメールが来ましたけども、子どもが、あと6ヶ月か7ヶ月で心臓の移植をせんと死ぬと、日本の国ではその心臓をもらえるのがないから、アメリカへ行って、心臓手術をすると、6千万円お金出したら心臓が治ると。だれが心臓売るんですか?その子どもたちが心臓を取られて、肝臓取られて、腎臓取られて、死んでいくんです。それからみたら、今の日本のみなさんは、家でいろいろ不満もあるし、学校でもおもしろないことあるし、お母さんに怒られたりお父さんに怒られたり、いろんなことあると思います。でもこうやって元気で生きてられてます。世界にはそんな子どもたちがたくさんいることを忘れないでください。それも、君たちと同じように仏教の子です。仏さんを信じて、仏さんのお経を唱えて、すがってる子どもです。それが、親から離れさせられて、腎臓や肝臓やら、腹を切られて、生きてるんです。
乞食させられてる子どもでも、普通の元気な子どもやったら、あまりお金もらえません。だから何をするかと言うたら、足を切り、手を切り、するんです。そうすると「あ、かわいそうな子どもがいるわ」ということで、観光客なんかが普通の子どもよりたくさんお金くれます。だから子どもたちは自分でやりたくて手や足を切ってるんじゃないんです。そいう親方や子どもを買うてきた人が、足や手を切って、それで乞食させてるんです。



 こうやって今日、土曜日の日に、朝寒いけど、ここへ来られて、友達と顔合わせて、こういうことが出来るという喜び、彼らはしたくても出来ないんです。みんな年は君たちと一緒くらいです。そういうことを思ったら、生きてるということ、今この場に元気に座ってられるということ、その幸せを本当にかみ締めてください。どうします?ホンマに山の中へ連れられていって、腎臓や心臓切られたら?お腹が減って倒れたら放っておかれて、猛獣が出てくるんです。野生の像も出てきます。そんなとこへ放っておかれるんです。幸せでしょ?みなさんここに居られることが。みなさんはこうやって朝、仏さんをおがみに来られる。これを、ほかに何も感謝せんでいいから、こやって生きてる、元気でいられる、その喜びを十分かみ締めて生きていってほしいと思います。伝えたいのは、世界にはそんな子どもがいっぱいいるということです。

 勉強がしたくてもできない。学校へ行かせてもらえない。
まだそれだけだったらいいです。でも、元気な人も腎臓や肝臓が要るんです。だから、みんながひょっとしたら向こうの国に生まれてたら、今頃、お腹を切られて、腎臓や肝臓を取られる。まだ肝臓や腎臓の場合は生きてます。だけど、心臓の場合なんかは、心臓は動いてる心臓やないとあかんです。止まってる心臓では役に立たないんです。ということは、活きのいい心臓でないとあかんということは、生きてる間に切ってしまうんです。一回自分が、お腹を切られて、心臓取られることを考えてください。そしたら、今ここにいられる幸せ、お母さんお父さんに対する感謝、あるいは友達と一緒に話が出来る、ときにはケンカもできる、こんなありがたいことはない。私が一番つらいのは、彼らも仏教の子です。お坊さんが托鉢に歩いてきたら、ちょっとしか、自分が食べる分しかなくっても、僕にくれます。そんな子が、何日かして行ったら、いつのまにかいなくなってるんです。どうしたん?て親に聞いたら、「売られていった」と。お父さんやお母さんでも子ども売りたくないです。だけど、子どもに食べさせるご飯がないんです。だから僕がお父さんやお母さんに「何でそんなことするの?」と聞くと、「もしかしたら、売られていったら、ここにいるよりもたくさんご飯が食べられるかもしれない」と。「この家ではご飯を食べさせられない」と、お父さんお母さんは泣きながら言うてます。



 そういう子どもたちが世界にはたくさんいるということを忘れないで、今、家にいて、学校に行って、こうやってお寺に来られる幸せを味わって、どうしたらその子たちを助けることができるか、今君らにできることは、一生懸命、お父さんお母さん学校の先生の言うことをよく聞いて、勉強することだと思います。そして勉強して、大きくなって、世界からそんな子どもたちが出ないように、平和な地球をつくるように、一生懸命勉強してください。自分のために勉強するんやと嫌かもわからんけど、ジャングルで死んでいく子ども、君たちの仲間、生きてるのにお腹を切られて腎臓や心臓を取られて死んでいく子達をなくすために、今の時代はあるけども、自分たちが大人になったときには、そんな子どもをなくそうと、そのために勉強してください。お願いします。

※1 「乞食」の由来はこちらをご覧ください。(語源由来辞典より)

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