久保田弘信さんのお話を聞いて 2
※今回は、副住職の友人からの投稿作品です。
 先日、龍谷大学で、久保田さんの講演、ききました。

 イラクから帰ってこられたばかりで、生の映像を20分見せてくださり、そのあと写真を使ってのお話しでした。

 実は、その一日前、ハンセン病関連のシンポジウムがあって「国家を問う」というタイトルだったのですが、それと私の中ではリンクするものがありました。

 久保田さんのお話しにも、その「国家を問う」のシンポジウムでも、結局、問われたのは「私」だったなと。シンポジウムで、パネラーの一人、大谷派の僧侶・玉光順正さんが、「国家とは、<必ず間違う人間>がつくった、もっとも暴力的な装置である」とおっしゃっていたんです。その言葉と、久保田さんのお話しが、私の中では一つになりました。

 今、イラクは「戦後問題」っていわれています。けど、今、「戦後」なんかじゃない。それを、映像や写真から思いました。「国家の暴力性」というのは、他人事にしちゃっている所だと思います。戦争って、国と国の闘いかもしれないけど、つまる所、トップとトップの体面保ちの為に、罪もない人が殺したり殺されたりしているんだと思います。

 戦争はいやです。絶対嫌です。悲しみしか生まないです。でも、今、私はそれを傍観しています。「悲しい事だ」といいながらも、今日もご飯を食べたし、バラエティー番組で笑いもした。…結局、他人事なんですね。もうすぐ8月15日が来ますが、私たちは「あやまちを二度と繰り返さない」といいながら、「繰り返して」いるんだなと思います。

 そんな私が今、出来るのはなんだろうって考えた時、私も傍観者でありながら、戦争協力者(加害者)なんだと思います。なんにも出来ない。「ごめんなさい」すらもいえない。ただ、出来るとすれば、久保田さんのように、現地の生の真実の声を伝えてくださる機会を、伝えていく事かなって、今はそれ位しか出来ないです。これからも「出来る事って何?」っていう問いを自分に発していきたいです。

 8月3日に、また京都で講演をされるそうです。また行く予定です…。


 藤澤めぐみ 映像作家/本願寺派布教使
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