久保田弘信さんのお話を聞いて。(イラク報告会より)

 久保田さんのお話を聞かせていただいて改めて思ったのは、これまでテレビで見たり聞いたりしてきたイラク戦争関連のニュースは、ミサイルを発射する側の、一方の側からの情報がほとんどだったなぁということです。ですが、ミサイルを落とされる側にいた久保田さんのお話を聞いて、「武力攻撃は仕方がなかった」とは言いたくないな、という思いを強くしました。それは、戦争で傷ついた人の悲しみや怒りの気持ちは、壊れたものを復興するのと同じようにはいかなくて、その気持ちは簡単には癒せないと思うからです。そう考えると、形の上ではイラク戦争は停戦しましたが、そういう意味では、戦争は未だに終わっていないと、そういうふうにも感じました。

また、私たち本願寺教団は日本が戦争中に、日本が参戦する戦争を「聖戦」と称して、ご門徒の方々を戦地へと送り出し、親鸞の書物からも戦争を先導する権力側にとって都合の悪い部分を削除して布教するなど、権力の側と一緒になって戦争を推進する役割を担ってきたという反省すべき歴史があります。戦後の本願寺教団は常にその反省の上に立ってこれまで運動を続けてきており、今回のイラク戦争の開戦前後にも、イラクへの武力行使に抗議する声明文が出されましたが、結局私たちの声は届かず、日本の首相はアメリカの先制攻撃の“全面的な支持”を表明してしまいました。さらに今、有事法制という、政府の判断ひとつで日本が戦時体勢を整えられるという危ない法案が国会で審議され、今にも成立しようとしておりますが、二度と同じ過ちはくり返すまいと“非戦”を誓った教団の一員として私は、「戦争には協力しない」という意志を持ち続けたいと思います。そうでなければ、戦後から今日までの歩みは、単に上辺だけのものになってしまいますから。お釈迦様も「殺すな、殺させるな、殺すのを容認もするな」と教えてくださっています。

最後に、久保田さんのような活動は誰にでもできることではありませんが、では私たちに何ができるかと言えば、まずは身近なところから、久保田さんから聞いたお話をどんどん伝えていくことだと思います。そうして人と人との出会い、つながりの輪がひろがっていけば、ほんとに少しずつかもしれませんが、長い目でみれば良い方向に向かっていける、そんな気がします。今だけのことではなく、私たちの子や孫の時代のためにも。久保田さんのお話を聞いて、改めて、あきらめないことの大切さを学びました。誰でも久保田さんのようにがんばれないかもしれません。でも、あきらめない気持ちは持ち続けていきたいと、そのようにお話しをきかせていただきました。

副住職 大平一誠

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