お寺はココロの病院でした。

 パニック障害と鬱(うつ)の症状を治療中に35歳になりました。

 誕生日に、おそらく生まれてはじめて両親に「いつもありがとう。産んでくれてありがとう」と感謝のコトバを言いました。

 息子からはプレゼントにPS2のゲームソフト『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』を、彼自身のサイフで買ってもらいました。超うれしいプレゼントでした。

 4歳の娘は、いつ作ったのか、サランラップの芯棒をカラフルに彩色したものをくれました。これまたうれし。さっそく居間に飾りました。

 ところで冒頭に書きましたように、今ボクは病んでいます。

一日中フトンにうずくまっている日もあれば、無性に落ち着きが無い日もあります。ときには「このまま死んでしまうのではないか」と思うほどの息苦しい発作が襲ってくることもあります。

 ただ、こういう病気になってみて、じっくりと自分自身を見つめ直してみる時間を与えてもらっている中で見えてきたことがあります。

 それは、今まで自分は人生に悩んでいる人たちを、仏教という教えで救う「お医者さん」だと思っていたことです。でも、それは思い上がりでした。ボクも同じく救われる対象であり、お医者さんではなく患者さんだったのです。

 たとえ病に倒れ動けなくなっても、たとえ一歩も外へ出られなくなっても、「大丈夫。私に任せて安心して人生を生きなさい」と呼びかけられる阿弥陀さまの家「お寺」に入院しながら、お慈悲のあたたかさに抱かれています。

        釈・一誠


BACK