手厳しいけど、ありがたかった批判
 先日、駅で切符を買おうと並んでいたら、前に並んでいたおじさんに話しかけられた。「きれいに頭剃ってるな。何宗や?」「浄土真宗です」「そか。うちは○○宗や。しかし坊主はあかんな。金丸儲けで、妾を何人も囲ってる奴もおるやろ?ほんまけしからんで。それもこれも世襲制が悪いんや。ヤ○ザの世界みてみぃ。親分は絶対息子には跡つがせんで。世襲制が坊主をダメにしとるんとちゃうか。ま、お前みたいなボンクラに言うてもしゃーないけどな」と、ひどく憤慨して僕に訴えてきた。
 
 「ご指摘の通りです。僕も世襲制には疑問を感じています。ありがとうございます。」そう答えた。世襲制のすべてを否定はしないけど、それが今の自分の本音だった。

 お釈迦さまや各宗派の開祖は、自分自身の心の悩みや、社会の問題に対しての葛藤から出家し、僧侶になっていったはず。僧侶になるにはそういう動機が必ずあった。とすれば、”今”に生きるものには”今”に応える生き方があるはずで、僧侶になるということは、そのように目的意識をもってなるのが本来ではないか…。「つまらない坊主ばっかりやで、ほんま。」という、おじさんの鋭い指摘を突き付けられて、「よっしゃ!」という気持ちをもらいました。おじさん、どうもありがとうございました(合掌)。

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